増刊 かわらや日記

巫夏希の日常

英雄譚なんて、僕には似合わない。第9話①

「ところで、一つ気になるんですけれど」
 リニックとレイニーは通路を歩いていた。
 通路は迷路の如く張り巡らされており、レイニーの指示が無ければ迷子になってしまう程だった。
 レイニーが居なかったら、と思うと少しぞっとしてしまうリニックであったが、
「何ですか?」
「名前、教えて貰えませんか?」
「名前? レイニーですけれど」
「だから、それはコードネームですよね?」
 ライトニングとレイニー、それにサニーという時点で何らかのコードネームであり本名では無いことは明らかだった。
 だからリニックは彼女の名前が気になって仕方が無かったのだ。別に教えてくれないのならばそれで構わないのだが、だからといってずっとコードネームで呼び続けるのもどうかと思っていた。
「マリアです。マリア・アドバリー」
「マリア・アドバリー……」
「覚えていただけましたか?」
 こくり、と彼は頷いた。
 なら良かった、とマリアは笑みを浮かべた。
 そして、部屋のドアの前に到着すると、マリアが右手を差し出す。
 右手には小さな鍵がのせられていた。
「それは?」
「この鍵は、この部屋の鍵です。今後あなたはここで生活して貰うことになりますので。ああ、安心してください。あなたの過去の部屋に近いレイアウトと設備をご用意しておりますので」
「えっ、何それ怖い」
「ずっと監視し続けてきた甲斐がありましたよ、まったく。使われなかったらどうなるかと思いました。何かありましたら、私まで連絡ください。電話番号は内線で093です。いいですね? 093ですよ?」
「093ね。了解。……それじゃあ、また明日」
「ええ、また明日」
 そう言って、リニックは部屋へと入っていくのだった。
 部屋の中は確かに彼女が言っていたとおり、過去に彼が住んでいた部屋そのままのレイアウトとなっていた。廊下を抜けるとキッチンがあり、その脇にトイレ、そして風呂、突き当たりにはリビングがあるレイアウトだ。リビングにはパソコンとテレビが置かれているが、この感じからしてテレビも何が見えるか分かった物では無いし、通信も出来ないだろう。
「そもそも、ここがどこだか分からない以上何も出来ないのは確か、か……」
 身体に傷を負っているわけでも無い。精神的なダメージを負っているわけでも無い。金銭面でダメージを負ったわけでも無い(寧ろ、宿泊する場所を提供して貰えている)。はっきり言って今の彼には外部にその状況を連絡する意味が無かったのだった。