増刊 かわらや日記

巫夏希の日常

英雄譚なんて、僕には似合わない。第6話②

「でも、結局神は……」
「神はこの世界をとっくに見捨てているわ。この成長の見込めない世界をね」
 メアリーははっきりと言い放った。
 ワイングラスを揺らしつつ、さらに話を続ける。
 顔には出ていないが、どうやら酔いつつあるらしい。
「要するにね、神は世界を作り終えた段階で、楽園という場所を生み出したのよ。そこには様々な動物が争いを起こすこと無く、平和に暮らしていたそうよ。そしてその楽園に最後に生み出された生物……何だと思う?」
「人間……ですか」
「その通り。最後に生み出されたのは、人間だった。アダムとイブという男と女のつがいよ。彼らは楽園で平和に暮らしていたそうよ。楽園には掟が無かった。縛られるものが無かった。平和に暮らすことの出来る空間で、そんなことがあり得るのかという話にも繋がってくるのだけれど、それは間違いじゃない。その楽園は、確かに平和そのものだった」
 メイド服を着た誰かが空になったワイングラスに赤ワインを注ぐ。
 それを見て、ありがとう、と答えるとさらに一口呷った。
「しかしながら、その世界にもルールはあった。それは神から決められたルールだった。その楽園は神が作り出した世界。だから神が持っている持ち物も多く存在していたの。……その一つに、黄金に輝く木の実があった」
「木の実?」
「そう。そして、その木の実は絶対に食べてはならない、そう命じられていたのよ。食べてしまえば、お前達をここから追放することになるだろう……と。楽園は素晴らしい場所だったし、そこ以外の場所について想定出来なかったアダムとイブは直ぐに了承したわ。だって食事はそれ以外にもたくさんあったんですもの。別に黄金の木の実一つに目を奪われることなんて無いわよね」
 一息。
「しかし、それを良しとしない存在が居た。それは、蛇だった」
「蛇? 蛇がどうしてアダムとイブを、良きとしなかったのですか?」
「それは分からないわ。だってあまりにも古すぎる書物だからね。もしかしたら、その楽園のリーダーだったのかもしれない。蛇はいかにしてアダムとイブを追放しようかと考えて考えていたらしいわ。……そして、一つの案が浮かび上がったの」
「黄金の木の実を食べさせること、ですか」
「その通り。黄金の木の実は絶対に食べてはいけない。ならば、それを食べさせれば良いのだと。簡単な話よね。……そして、蛇は実行に移した。アダムに、黄金の木の実を食べなよ、と促したのよ。勿論アダムは直ぐに首を縦に振らなかった。でも、とても美味しい食べ物であるということ、それを食べれば神をも超える力を得ることが出来るということ、それを伝えたら徐々に食べてみたいという気になった。……そして、彼はついに、黄金の木の実を一囓りしたのよ」
「……それから、どうなったんですか?」
「人間には、知恵が身についたと言われているわ。最初に得た感覚は恥ずかしいという感覚。何せそんな感覚さえ無く生活していたんですもの。恥部を隠すこと無く、おおっぴらに活動できていたからね。次にそれをイブに与えたわ。イブも恥ずかしくなって胸と陰部を葉っぱで隠した。……それが、神に知られるまでそう時間はかからなかった。アダムとイブは直ぐに蛇が悪いと言った。だから蛇は追放された。同時に、黄金の木の実を食べてしまったアダムとイブも追放されてしまった。……けれど、神は一つ大きなミスを犯したのよ。イブの胸には、黄金の木の実の種が隠されていたの」
「種……?」
「そう。流石にそこまでは気づかなかったようね。管理者であるガラムドすら気づかなかったんですから。そうして、世界には食べると知恵がつくという木の実が広がっていった。……そこまで言えば、それが何であるか、あなたにも分かるでしょう?」
「まさか、それが『知恵の木の実』だというんですか……!?」
 リニックの驚いた表情を見て、メアリーはゆっくりと頷いた。