増刊 かわらや日記

巫夏希の日常

夢の話。

おはようございます。かんなぎです。

新年一発目の投稿がこんな暗い内容で良いのかと思ってしまいますが、書いておかないとどうにもこうにもならないと思ったので書く次第。

昨年十月より鬱病と診断されて休職中なのですが、寛解する気配があまり見えてこない。

というか、ほんとうに治るのか? 良くなるのか? という不安にすら駆られている。

たぶんそれが一番如実に現れてきているのは、夢。

夢とは脳が記憶を整理するために、基本は支離滅裂な内容となっている。

なので良い夢もあれば、悪い夢もあるのは当然のこと。

しかし、悪夢しか見ないのである。それも、場合によっては連続した悪夢。連続ドラマのような感じだ。悪夢によって目を覚まし、また眠るとその続きから見てしまう。そうなると、実は起きていたこと自体も悪夢なのではないか? と考えてしまうこともあるのだが、それはそれとして。

しかも二回とも、死にかけるのだ。たちの悪いことに、それは僕が夢であると実感している。夢は夢で有り、或いは輪廻転生の概念が夢の世界観の中で成り立っていると僕自身が理解している。

どういうことかというと、一回目の夢は僕が僕として夢の中で登場しているのだが、二回目の夢は僕が誰かの身体の中に入った夢なのだ。僕が――たぶん中学二年生くらいの女子――として活動している。

夢日記、とはあまりつけてはいけないものだと思うのだけれど、でもこうでも書き記しておかないと悪夢の内容が消えないんじゃないかと思って、こうして書き記している。

だからこれは日記じゃなくて、雑記。

でも内容としては、なんか短編小説のような世界観で、ううむなんだか面白い。ラストの理不尽なオチさえなければそのまま短編小説に流用出来そうなくらいだ。

流用したくないので書いてしまうと、真四角な世界が舞台の夢で、少女(となっている僕)は「その真四角の外には何があるのだろう?」と考える。

そうして実際に向かってみると、路地の行き止まりに辿り着き、古ぼけた看板で「先は幸せ」と書かれている。

振り返ると、ぼろぼろの服を着た老人が自転車に乗っていた。

少女=僕は何か知っているのではないかと思い追いかけるが、そこで田んぼに落ち溺れかける。

しかし少女の中に入っている僕ははっきりと僕とした意識を持っていて、「また別の命に生まれ変わるから良いや」ということを抱きながらも助けを待ち、溺れる――というところで目を覚ます。

何かの暗示(水難?)なのかもしれないけれど、正直、悪夢は懲り懲りだ。睡眠薬が無いと楽に寝付けないというのも、困ったモノである。何とか寛解までいきたいところです。

という、とりとめの無い話。それではまた。小説は書いています。次は楽しい話題でお会いできれば幸い。